シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由

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私達は日頃何気なくシナを「中国」と呼んでいますが、実はこれはとても異常な事です。どう異常なのか、そしてなぜこんな異常な事が起きてしまったのかをまとめてみました。


目次

1. 中国の人達の置かれた困った立場
 ・正しい地名が恐くて使えない
2. 中国は由緒ある日本の地名
 ・比較にならない程古い中国の歴史
 ・すべては外務省の通達から
 ・驚くべきマスコミの力
 ・押し付けに従うのはやめよう
3. シナは世界の共通語
 ・「支那(シナ)は日本人だけが使った差別語である」の嘘
 ・「シナ人はシナと呼ばれることを嫌がっている」のうさん臭さ
 ・「意図的にシナと呼ぶ態度がシナを差別語にしたのだ」のでたらめ
4. 二つの「中国」
 ・中華思想とは何か
 ・新たな秩序を持ち込んだもう一つの中国
 ・シナを「中国」と呼ぶことは日本の基本的立場に反する
5. なぜ日本人にシナと呼ばれると都合が悪いのか
 ・打ち砕かれた古い中華秩序
 ・シナの独立と乗っ取り
 ・「中国」の意味の変更による侵略の正当化
 ・シナを「中国」と呼ぶことは侵略の手助け


1.中国の人達の置かれた困った立場

私は中国生まれの中国育ちですが、日本人です。シナ人ではありません。中国には、中国銀行、中国放送、中国新聞、中国交通、中国電力など、社名に「中国」を含む多くの企業がありますが、言うまでもなくすべて日本の企業です。また中国には中国山地があり、中国自動車道が通っています。

ところが紛らわしい事に、なぜかマスコミはシナを「中国」と呼び、中国のことをわざわざ「中国地方」などと脇に押しやったような言い方をしています。先日も「中国で『讃岐うどん』商標登録申請、香川県が異議へ」という見出しの新聞記事がありましたが、記事の内容は「シナ人がシナの国内で日本の商標を申請した」というものでした。それなら「シナで『讃岐うどん』商標登録申請、云々」と言うべきです。先ほどの見出しでは、まるで瀬戸内海をはさんで中国と四国がもめているみたいです。

正しい地名が恐くて使えない

日本では中国という地名をまともに使えません。旅行のパンフレットのタイトルを「中国ツアー」にするとシナ旅行と勘違いされます。食品に「中国産」と付けるとシナ産と見なされます。

2007年、中国にある中国食品工業という会社が倒産しました。当時はシナ産の食品の安全性が世界的に問われた時期で、社名の「中国」がシナの事と勘違いされ、「シナの食品を専門に扱う会社」と思われて取り引きが激減したのでした。安全な食品を求めるのは当然のことですが、問題にされていたのはシナ産であって、中国産ではありません。

シナの「中國銀行」が日本に進出した際、中国の中國銀行との表記の衝突が問題になったこともあります。この時なぜか本家中国の中國銀行の方が、「國」の字を「国」に変え、支店のぶつかる場所では「本店岡山市」という記述を追加して対応したそうです。これは本当に妙な話です。シナの銀行の方こそ「支那銀行」とか「バンクオブチャイナ 本店北京」とかに変更するべきでした。そもそもなぜシナの銀行に、日本の地名である中国の使用を許したのでしょうか。

こんな異常な出来事が起こるのも、日本のマスコミがシナをかたくなに「中国」と呼び続けているためです。そのため日本人の多くが、中国と聞けばシナの事だと思うようになってしまいました。

2.中国は由緒ある日本の地名

比較にならない程古い中国の歴史

日本の山陽・山陰を合わせた地域を中国と呼ぶ歴史は非常に古く、『類聚三代格』の元慶二年(878)二月三日の官符に既に見られますから、少なくとも千百年以上の歴史があります。

一方、一般に日本人がシナを「中国」と呼び始めたのは戦後の事ですから、まだ六十数年(2009年執筆時点)の歴史しかありません。また「中国」と呼び始めた時点で、中華民国(建国1912年)はまだ三十数年の歴史しかなく、中華人民共和国(建国1949年)に至っては存在すらしていませんでした。

ということは、千百年以上も在り続け、使われ続けて来た日本国内の由緒正しい地名を脇に押しやって、海外にある新興国の略称を優先させていることになります。なぜこんな不自然な事が起きてしまったのでしょうか。

すべては外務省の通達から

事の始まりは、昭和21年(1946)に外務省が出した通達です。当時GHQの管理下にあった外務省は、東京都内の主要マスコミに対して「支那」の使用をやめるように通達しました。
中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり,現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので、今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です。要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては
中華民國、中國、民國。
中華民國人、中國人、民國人、華人。
日華、米華、中蘇、英華
などのいづれを用ひるも差支なく唯歴史的地理的又は學術的の敍述などの場合は必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます。

(昭和21年6月7日付「中華民国の呼称に関する件」より引用)

「今後は理屈を拔きにして」とあるとおり、理屈の通らない無茶苦茶な押し付けであることは明らかです。当時の日本は敗戦によって民主主義を封殺され、GHQによる野蛮な検閲と洗脳に支配された時代でしたが、それでもこんな暴力団の脅しのような要求に屈した外務官僚には大いに責任があると思います。

しかしよく読むと、支那と呼ぶべきでないとされているのは「中華民国」つまり台湾のことです。また「中国」の他に「民国」という候補も挙げられていますから、こちらを使えば無用な混乱は避けられたはずです。わざわざ問題のある「中国」の方を使い、さらには中華人民共和国にまで「中国」という名称を適用したことは、マスコミの過剰適応であり、外務官僚と同罪と言えるでしょう。

驚くべきマスコミの力

それにしてもマスコミの力は絶大でした。ありとあらゆるすべてのメディアにおいて「支那」から「中国」への書き換えが行われ、過去の戦争の名前までもが、例えば「支那事変」は「日中戦争」にという具合に書き換えられました。その一方で「中国四千年」「中国文明」などと、あたかも何千年も前から「中国」という国があって、日本人がそう呼んでいたかのように触れ回りました。つまり単に国の呼称が変えられただけではなく、歴史全体が書き換えられたと言ってよいと思います。

このような洗脳により、最近まで日本人がシナをシナと呼んでいた事実も歴史から消し去られてしまいました。それでも個人の中にはいまだにシナと呼ぶ人はいるのですが、マスコミがこぞってシナを強引に「中国」と呼び続けるものだから、逆にシナと呼んでいる人達の方が何か特別な意図を持った人のように思われています。

押し付けに従うのはやめよう

さてこのような理不尽な押し付けによって、日本人とりわけ中国の人達は様々な不利益を被っています。中国は日本の地名です。戦争に負けたからと言って呼び名を強要されるいわれはありません。これがシナを「中国」と呼んではいけない一つ目の理由です。

〔参考文献〕

[PDF]「China を『中国』と呼ぶ重大な過ち」中嶋嶺雄[2006](WiLL 2006年9月号)
昭和21年当時、支那という記述が世の中から「瞬く間に消えた」経緯が書かれています。「支那」「中国」という言葉が使われて来た歴史についても解説されています。
[amazon]「日本人として最低限知っておきたい“Q&A”近現代史の必須知識」水野 靖夫(著),渡部 昇一(監修)[2006]
教科書が教えない近現代史の真実をやさしく解説しています。「支那」「シナ」という呼称を用いています。必読の一冊です。

3.シナは世界の共通語

さてシナの事をシナと呼ぼうと言うと、いつも決まった反論があります。

「支那(シナ)は日本人だけが使った差別語である」の嘘

「支那(シナ)は日本人だけの呼び名であり、中国人を侮蔑してこう呼んだのだ」と主張する人がいます。これはまったくの嘘です。「シナ」も「支那」も日本だけで使われた言葉ではないし、ましてや差別語ではありません。

『広辞苑』には、「支那」とはシナに対する外国人一般の呼称であると書かれています。

支那(しな)
(「秦(しん)」の転訛)外国人の中国に対する呼称。初めインドの仏典に現れ、日本では江戸中期以来第二次大戦末まで用いられた。戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く。
インド人の「シナ」という呼称に「支那」の字を当てたのは当のシナ人です。そしてシナ人自身も自国を支那と呼んでいました。国父とされる孫文も自国を支那と言っています。差別語であればシナ人は使わないはずです。

一方日本人は、元々シナを「から」「もろこし」と呼んでいました。「支那(シナ)」と呼び始めたのは外国人の影響です。江戸時代の学者・本居宣長(1730-1801)は、『玉がつま』の中で、日本の学者が外国の真似をして「支那」と呼ぶことを批判しています。

もろこしの國を、もろこしともからともいひ、漢文には、漢とも唐ともかくぞ、皇國のことなるを、しかいふをばつたなしとして、中華中國などいふを、かしこきことゝ心得たるひがことは、馭戎慨言にくはしく論ひたれば、今さらにいはず、又中華中國などは、いふまじきことゝ、物のこゝろをわきまへたるひとはた、猶漢もしは唐などいふをば、つたなしとやおもふらむ、震旦支那など書くたぐひもあんなるは、中華中國などいふにくらぶれば、よろしけれども、震旦支那などは、西の方なる國より、つけたる名なれば、そもなほおのが國のことをすてゝ、人の國のことにしたがふにぞ有ける、もし漢といひ唐ともいはむを、おかしからずとおもはゞ、漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書むに、何事かあらむ、
このことからも、「支那」は「日本人だけが使った言葉」ではない事が明らかです。むしろその呼称が世界標準だったために、日本人までが使うようになったというのが真実です。

これは今も同じです。下記の一覧表は、世界の国々がシナを何と呼んでいるかをまとめたものです。これを見ると、国毎のなまりはあるものの、多くの国が「シナ」に基づく呼び方をしていることが分かります。英語の「チャイナ」もシナが変化したものです。朝鮮語の「チュングク」とベトナム語の「トゥルンコック」のみが「中国」に基づいた呼称のようです。ペルシャ語の「シニスタン」は「震旦(しんたん)」と同源で、やはり「秦(しん)」が元になっています。

他の国々では China をどう呼んでいるか

「China を『中国』と呼ぶ重大な過ち」中嶋嶺雄(WiLL 2006年9月号)より引用

「シナ人はシナと呼ばれることを嫌がっている」のうさん臭さ

また「仮に差別語ではないとしても、人が嫌がる呼称をわざと使うのはよくない」などともっともらしいことを言う人もいますが、シナ人が嫌がっているというのも非常に疑わしい話です。先に述べたとおり、シナは世界中の国々からシナもしくはその変形で呼ばれているのに、なぜそれらに対して抗議をしないのでしょうか。そもそも中華人民共和国の英語名は "People's Republic of China" で、シナ政府自身がつけた呼び名です。これを日本語に訳すなら「シナ人民共和国」になる事は言うまでもありません。

2000年、シナの巨大ポータルサイト 新浪(sina.com) に対して、日本に留学経験のあるシナの学者が抗議をしたことがありました。「Sina は日本による差別語だから改名するべきだ」と言うおなじみの主張です。それに対して sina.com の代表者は「Sina(シナ)は英語のChina(チャイナ)の過去の発音で、それ自体に侮辱の意味はない」と言って拒否したそうです。さらに続けて「Sinaを世界のブランドにし、シナ人が誇れる呼び名にする」と言ったそうです。至ってまともな意見です。

大体「シナ」を差別語だと言い張るシナ人は、日本にいて日本のマスコミ報道に接した人が多いようです。もしシナにいるシナ人が sina.com の名称を嫌がっているとしたら、わざわざ日本に留学した学者に指摘されるまでもなく、最初から大騒ぎになっていたはずですし、間違っても人気サイトなどにはならなかったでしょう。

「意図的にシナと呼ぶ態度がシナを差別語にしたのだ」のでたらめ

他に「支那という呼び方を変えてくれと要請したにもかかわらず、日本人は変えようとせず意図的に支那と呼び続けた。だから支那は差別語になったのだ」という主張もありますが、論外です。まず国際標準の呼び方をしている人達に対して、ごく少数の国しか使わない特殊な呼び方(中国)を強要してはいけません。また相手が命令に従わないからといって「差別」と決めつけるのは、やくざの言いがかりと同じです。

さて彼らが「支那と呼ぶな」という時、必ずその後に「中国と呼べ」が続きます。これはなぜでしょうか。それを理解するには「中国」「支那」の言葉の意味を正確に知る必要があります。

4.二つの「中国」

そもそも「中国」と言う言葉には「世界の中心の国」という意味の普通名詞の用法があります。この用法は固有名詞としての「中国」とは違って非常に長い歴史があります。その言葉は中華思想という世界観を前提としています。

中華思想とは何か

その世界観は「中国」を中心として四方に野蛮な異民族がいるというものです。四方の異民族は東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と呼ばれました。使われている文字を見れば分かるとおり、周辺の異民族を侮蔑してこう呼んだのでした。

そして「中国」には、天からの命令(天命)を授かって世界を治める「天子(てんし)」がいるとされました。天子が政治を行う場が朝廷です。皇帝は天子の別称で、「皇」の字は天子にのみ許されるとされました。皇帝は「中国」を治めるのみならず、四方の野蛮な国々をも臣下として従え、その国の長に「王」の称号を授けました。王は皇帝に忠誠を誓い、「中国」に貢ぎ物を納めました。これがいわゆる「中華秩序(華夷秩序)」です。だから「中国」は尊称でもあります。

シナの皇帝は自国を「中国」と尊称で呼び、臣下の国にも「中国」と呼ばせました。だからシナの忠実な臣下である朝鮮などは、シナを「中国」と呼びました。つまり他国を「中国」と呼ぶ国は、その国の臣下の国に他ならないという事です。これに似た働きをする言葉には「ご主人様」や「親分」などがあります。ある人を「ご主人様」と呼ぶ人は、その人の召使いであることは明らかです。ある人を「親分」と呼ぶ人は、その人の子分に違いないでしょう。

新たな秩序を持ち込んだもう一つの中国

ところが7世紀の始め、シナの前にもう一つの大国が現れました。その国もまた自国を中国と呼びました。次に示すのはその国から送られてきた国書の一節です。
日出づる処の天子が日没する処の天子に手紙を送る
(日出處天子致書日沒處天子)
天子が二人になっています。続いて送られて来た二通目の国書は次のようなものでした。
東の天皇が謹んで西の皇帝に申し上げます
(東天皇敬白西皇帝)
天子にしか許されないはずの「皇」を名に持つ元首が二人います。

言うまでもなく、これは日本がシナに送った国書です。共に聖徳太子の手によるものとされていて、前者はシナの歴史書『隋書』に、後者は日本の歴史書『日本書紀』に記録されています。

先に述べた中華思想の世界観を理解していれば、この二つの国書が提示しているものが、共に「二つの中国」という新しい世界観であることがお分かりでしょう。これは一つの中国を前提とするシナ人の中華秩序を否定するものでした。隋の煬帝は不本意ながらもこの国書を受け入れています。それ以来アジアには二つの中国があり、互いに張り合って来たわけです。

この新しい秩序を受け入れなかったのは、シナよりもむしろシナの属国の朝鮮でした。明治時代に日本が朝鮮に修好を申し入れた時も、国書に「皇」の字が使われていると言って拒否しました。今でも朝鮮人などが、天皇という呼称を嫌って「日王」などと言うのは、この「二つの中国」という世界観を認めたくないからです。日本国内にも、執拗に聖徳太子の存在を否定し、大和朝廷を「ヤマト王権」と言い換えたがる勢力がありますが、まったく同じ発想です。「朝廷」は天子が政治を行う場、「王」は皇帝の臣下であることを思い出して下さい。「大和」を「ヤマト」に置き換えるのは「大」が敬称だからです。

シナを「中国」と呼ぶことは日本の基本的立場に反する

さて今日の私達は当たり前のようにシナを「中国」と呼んでいますが、それは「中国」が「中華人民共和国」の略称だと思っているからです。しかしそう呼ぶことは、聖徳太子が確立なさった「二つの中国」という日本の基本的立場を危うくするものです。日本こそが中国なのに、なぜ他国を「中国」などと呼ぶのでしょうか。これがシナを「中国」と呼んではいけない二つ目の理由です。

朝鮮人やベトナム人がシナを「中国」と呼ぶのは、臣下の国としての長い歴史を反映したものなので問題ありません。日本人がそう呼んではいけないのは、日本の歴史を反映していないからです。私達は敗戦と共にそういう間違った呼称を巧妙に押し付けられたということです。本を正せば「中国」の意味や聖徳太子の国書の意味を教えない学校教育に根本的な問題があります。

(写真は「大清国属高麗国旗」)

〔参考文献〕

『馭戎慨言』本居宣長著[1778]
聖徳太子以降、日本がシナときちんと張り合って来た歴史が、内外の豊富な史料を元に実証的に描かれています。日本が中国であったこと、日本人がシナを「中国」と呼んではならない訳なども述べられています。

5.なぜ日本人にシナと呼ばれると都合が悪いのか

打ち砕かれた古い中華秩序

さて19世紀末、日本は日清戦争(1894-1895)で清国を破り、清の属国であった朝鮮を独立させました。中国王朝を名乗る清が、もう一つの中国・日本に屈伏し属国を独立させられたことは、古い中華秩序が打ち砕かれた象徴的な出来事と言えるでしょう。

しかし日本と清の関係は悪化しませんでした。清の故国である満洲は日清戦争の後ロシアに占領されていましたが、日本は1904年の日露戦争を戦ってロシアを追い出し、清の手に取り戻しました。さらに日本は満洲の地にインフラを築き、治安を守り、産業を発展させました。この頃からおびただしい数のシナ人が満洲に移住してきました。一方清は日本の明治維新を手本にして強力な立憲君主制の国になろうとして、大量の留学生を日本に送りました。今日のシナで社会科学分野の語彙の7割が日本起源と言われるのはそのためです。

シナの独立と乗っ取り

当時シナ人は清の中で満洲人の支配下にありましたが、日本への留学生らを中心として民族独立運動が起こり、辛亥革命(1911)によって独立を勝ち取りました。ところが彼らは中華民国を建国(1912)すると「五族共和」という事を言い始め、清の支配領域すべてを引き継ぐと宣言しました。

下の地図は清の支配領域の全体を表したものです。いわゆるシナとは「漢族」と書かれた領域のことです。清の領土を引き継ぐという事は、シナ人の領土だけではなく、満洲、モンゴル、ウイグル、チベットの各民族の領土すべてを自分の支配領域にするということです。辛亥革命は元々シナ人の民族独立運動だったはずなのに、いつのまにかシナ人による他民族の支配という別の目的に切り替わっていたのでした。例えて言うと、強盗団に捕まっていた人質の一人が自由の身になったとたん、「強盗団の財宝も人質もすべてを自分のものだ」と主張し始めたようなものです。

清代の民族分布

『「日本と中国」歴史の真実』拳骨拓史著 より引用

「中国」の意味の変更による侵略の正当化

その時に戦略的に使われたのが「中国」という言葉です。元々「中国」とは自国を表す尊称に過ぎなかったのですが、この頃から支那と同じく領土や国家を表す固有名詞として使われるようになりました。しかも清の領土を引き継ぐと宣言することで、かつて一度もシナの領土でなかった広大な領域をそこに含めたのでした。具体的に言うとこうなります。

支那 = 漢族の領土
中国 = 漢族の領土+満洲族の領土+モンゴル族の領土+ウイグル族の領土+チベット族の領土

つまり、他民族の領土にまで「中国」という名前の覆いをかけて、すべて自分の国ということにしたわけです。もちろん他民族の同意を得た訳ではありません。この頃からシナ人は日本に対して「支那と呼ぶな」と言って来るようになります。

結局第二次大戦後、シナは満洲国をまんまと自分のものにし、日本が多額の投資をした満洲の産業をも手に入れました。しかしそれまで満洲は、歴史上ただの一度もシナの支配下になったことはありませんでした。それなのに満洲国の建国を助けた日本は、いつのまにか「中国を侵略した」ということにされています。

その後シナは、モンゴル人(一部は独立)、ウイグル人、チベット人に対する侵略、抑圧、虐殺を繰り返し、それらの地域に大量のシナ人を流入させて民族浄化を推し進めています。シナ政府はこれらの地域で起きていることをひた隠しにしてきましたが、亡命した人々が世界中で声を上げるにつれ、次第に世界の人々もそこで何が起きているかに気づき始めました。シナ政府は世界からの批判に対して「内政干渉だ」と言って反発していますが、本来これらの国々は、清が倒れた時に満洲国のように独立するべきでした。

シナを「中国」と呼ぶことは侵略の手助け

私達がシナをシナと呼ぶ時は、シナ人が満洲、モンゴル、ウイグル、チベットの各民族の領土を侵略している実態が浮き彫りになります。反対にシナを「中国」と呼ぶ時は、シナ人による他民族の支配を正当化し、侵略を積極的に手助けすることになります。これがシナを「中国」と呼んではいけない三つ目の理由です。

〔参考文献〕

『大東亜戦争への道』中村粲著[1990]
日清・日露戦争から大東亜戦争に至る歴史が詳細に描かれています。満洲がシナの領土かどうかについての詳しい考察があります。
『「日本と中国」歴史の真実』拳骨拓史著[2007]
学校で教えられている日本とシナの歴史の間違いを分かりやすく解説しています。「中国の歴史とは、漢民族による緩やかな異民族抹殺の歴史」とし、日本にとっても他人事ではないと警告しています。

[2009/9/13]

支那という呼称についてさらに詳しく知りたい方は、「『支那』の語源についての考察」についての考察もお読み下さい。

「いままで自分はだまされていた」と感じた方は、[広告]なぜ江戸時代の書を読むべきなのかもお読み下さい。

Baidu.jpからは本ページをどうしても検索できないことが分かりました。どうやら検閲をしているようです。皆さんも試してみてください。

Baidu.jpでも本ページが表示されるようになりました。露骨な検閲が、かえって評判を落すということを理解したのでしょうか。(2012/4/19)

Baidu.jp が検索サービスを終了しました。2015年3月頃に終了していたようです。

Googleで本ページが検索できなくなりました。検閲が始まったようです。"支那、中国"だけではなく、"シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由"(タイトルどおり)でもヒットしないので、検閲は明らかです。皆さんも試してみてください。(2023/9/13)

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