国籍法違憲判決の問題点

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2008年6月4日、最高裁大法廷で、国籍法の条文を憲法違反とする判決が下されました。その結果、日本人男性とフィリピン人女性の間に生まれ、出生後に日本人男性から認知されたフィリピン人の男の子に日本国籍が付与されました。この判決を受けて、国会は国籍法の改正を迫られています。

しかしその判決は非常に問題の多いもので、司法による法の改変が二度行われている他、判決の根底にある考え方にも疑問を感じざるを得ないものがあります。

国会は今、司法の下した判決のままに国籍法を改正しようとしていますが、その前に、この判決がどういうものであったのかを検証する必要があると思います。

本論は、リンクまたはURLの明示さえあれば転載自由です。本論中で使用しているグラフの転載については、必ず原作者による社会実情データ図録制作の履歴・趣旨等/再利用についてをお読み下さい。

目次

1. 国籍法のどこが違憲とされたのか?
2. なぜ合憲だったものが違憲に変わったのか?
 ・国内的な理由
 ・国外的な理由
 ・現状はどうなのか
 ・日本と外国とでは歴史も価値観も異なる
 ・司法の役割
3. 司法が行った二つの法の改変
 ・国籍法第三条1項の改変
 ・憲法第14条1項の改変
 ・なぜ司法による法の改変が繰り返されるのか
 ・司法による法律の改変と適用は許してはいけない
4. この裁判官を罷免しよう
補足 国籍法をどのように改正するべきか

「司法の解釈権」のからくり
寓話 - ある番人の告白
国民と人の区別


1.国籍法のどこが違憲とされたのか?

まず最初に、国籍法のどの部分が違憲とされたのかを確認しておきます。第二条と第三条が関わっています。

まず第二条1項です。この条文で国籍付与のほとんどすべての場合がカバーされています。

第二条子は、次の場合には、日本国民とする。一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
出生の時に、日本人との間に法的な親子関係があれば、子に日本国籍が付与されるということです。ほとんどの皆さんが日本人なのは、実はこれが根拠になっています。

さてここからは、裁判で問題になった日本人の男性と外国人の女性の組合せに話を絞りたいと思います。この条文で男性が法的に親と認められるためには、子の出生の時に次のどちらかを満たしている必要があります。

出生の時というのが第二条のポイントです。出生後に認知を行っても、第二条に基づいて国籍が付与されることはありません。

さて、昭和59年に国籍法が改正され、出生後の認知についても国籍取得を可能にする道が開かれました。それが第三条1項の規程です。

第三条1 父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で二十歳未満のもの(日本国民であった者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
この条文には「出生の時に」という限定がついていないので、出生後の認知についても適用されます。その代わり「父母の婚姻及び」という形で婚姻の要件が追加されています。

そして、この婚姻の要件が違憲であるとされました。同じ婚外子でありながら、出生前に認知された子には無条件で国籍が付与される(第二条1項)のに、出生後に認知された子には婚姻という要件が必要である(第三条1項)事が不当な差別であると判断されたのです。

判決文では違憲とされた箇所を「本件区別」と呼んで、次のように説明しています。

所論は,国籍法3条1項の規定が,日本国民である父の非嫡出子について,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得した者に限り日本国籍の取得を認めていることによって, 同じく日本国民である父から認知された子でありながら父母が法律上の婚姻をしていない非嫡出子は,その余の同項所定の要件を満たしても日本国籍を取得することができないという区別(以下「本件区別」という。) が生じており,このことが憲法14条1項に違反するとした上で,国籍法3条1項の規定のうち本件区別を生じさせた部分のみが違憲無効であるとし,上告人らには同項のその余の規定に基づいて日本国籍の取得が認められるべきである旨をいうものである。

2.なぜ合憲だったものが違憲に変わったのか?

ところで判決理由を読むと、国籍法第三条1項は、設けられた当時(昭和59年)は合憲であったとし、次のように言っています。
また,国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては,日本国民である父と日本国民でない母との間の子について,父母が法律上の婚姻をしたことをもって日本国民である父との家族生活を通じた我が国との密接な結び付きの存在を示すものとみることには相応の理由があったものとみられ,当時の諸外国における前記のような国籍法制の傾向にかんがみても,同項の規定が認知に加えて準正を日本国籍取得の要件としたことには,上記の立法目的との間に一定の合理的関連性があったものということができる。
分かりにくい文章で、「相応の理由」の内容も「一定の合理的関連性」があるとする理由もはっきりしませんが、とにかく昭和59年には国籍法第三条1項は合憲であったのです。

ではその同じ条文が、内容が変わった訳でもないのに、なぜ時間の経過とともに違憲に変わってしまったのでしょうか。

国内的な理由

判決理由ではまず次のように述べています。
(前の引用の続き)
しかしながら,その後,我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており,今日では,出生数に占める非嫡出子の割合が増加するなど,家族生活や親子関係の実態も変化し多様化してきている。
要点を掴みにくい文ですが、要するに日本で婚外子が増えていると言いたいのでしょう。これは後でデータを示しますが、嘘ではありません。先に進みましょう。
(前の引用の続き)
このような社会通念及び社会的状況の変化に加えて,近年,我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ,両親の一方のみが日本国民である場合には,同居の有無など家族生活の実態においても,法律上の婚姻やそれを背景とした親子関係の在り方についての認識においても,両親が日本国民である場合と比べてより複雑多様な面があり,その子と我が国との結び付きの強弱を両親が法律上の婚姻をしているか否かをもって直ちに測ることはできない。
これも分かりにくい文ですが、要するに日本人男性と外国人女性の間に生まれた子供が増えており、この組合せの場合には「婚姻」という形態は重要ではないと主張しているように読めます。理由は分かりません。

そして突然、次のような結論に至ります。

(前の引用の続き)
これらのことを考慮すれば,日本国民である父が日本国民でない母と法律上の婚姻をしたことをもって,初めて子に日本国籍を与えるに足りるだけの我が国との密接な結び付きが認められるものとすることは,今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。
なぜか国籍取得に両親の婚姻要件は不要であるというような結論が出てしまっています。なぜこのような結論になるのか理解に苦しみます。ここまでの議論は「結論ありき」の議論のように思えます。

国外的な理由

実はこの判決の本当の理由はこの後に述べられています。下記の引用の中の下線部分がポイントです。
(前の引用の続き)
また,諸外国においては,非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向にあることがうかがわれ,
我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約にも,児童が出生によっていかなる差別も受けないとする趣旨の規定が存する。さらに,国籍法3条1項の規定が設けられた後, 自国民である父の非嫡出子について準正を国籍取得の要件としていた多くの国において,今日までに,認知等により自国民との父子関係の成立が認められた場合にはそれだけで自国籍の取得を認める旨の法改正が行われている。

以上のような我が国を取り巻く国内的, 国際的な社会的環境等の変化に照らしてみると, 準正を出生後における届出による日本国籍取得の要件としておくことについて,前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなっているというべきである。

要するにこの判決を書いた裁判官は「諸外国では婚姻の意義は薄れ、それに合わせて法律も改正されているのだから、当然日本もそれに追随するべきである」と主張しているのです。だから本当のところは、国籍法が違反しているのは憲法ではなく、外国の法律ということになります。何だかまるで日本が植民地であるかのような発想ではありませんか。

現状はどうなのか

下記のグラフは、婚外子の割合の国際比較をしたものです。これを見ると、欧米では婚外子が急増していて、我々日本人の感覚では信じられないような状況になっていることが分かります。スウェーデンに至っては、婚外子が過半数を占めています。

一方、日本では増えているとは言え、全体から見るとまだほんのわずかであることが分かります。日本の実情を見る限りでは、先程の判決理由に述べられたような、憲法判断が変更されるほどの劇的な変化があったとはとうてい言えません。というより、圧倒的に少ないです。むしろ婚姻が重視されていることがデータから明らかです。

にも関わらずこの判決文を書いた裁判官は、日本の法律は日本国内の実情ではなく、外国のそれも欧米の実情に基づくべきと考えているようです。これは少なくとも常識的な考えとは言えないでしょう。どの国でも、法律の改正より先に実情の変化があったはずです。

世界各国の婚外子割合

本データは「社会実情データ図録」よりお借り致しました。

日本と外国とでは歴史も価値観も異なる

日本と諸外国とでは、歴史も価値観も異なります。

例えば米国などは、広い国土と豊かな資源を活かし、移民を受け入れることによって発展してきた国です。狭くて資源のない日本とは根本的に事情が異なります。ヨーロッパの国々は、EUの下に経済的、法的、政治的に統合されつつありますから、それぞれの加盟国は独立した国家でありながら、米国の州に近い側面も持っています。こういった国々では国際結婚も多く、国籍の要件が緩くなるのも理解できます。

日本人は伝統的に「家」というものを重視します。家族の存在が地域のつながりを作り、その地域が集まって磐石な国家を作るという考え方です。好き嫌いはともかく、それが日本の強さ、例えば治安の良さ、高い勤労意識、高い結束力、約束を守る国民性と言ったものを育んでいると思います。その国家の基盤である「家」を新たに作る行為が婚姻なのですから、日本の国籍法で婚姻を重視することは当然のことだと思います。

認知は一人で何人でも可能だし、出生後の認知ということになると、そもそも父親が妊娠・出産の事実を知っていたかどうかすら不明です。さらに、父親の死亡後でも3年間は母の側から請求できるようです。少なくとも日本では、認知は子を法的・経済的に守るための手続きと見なされており、婚姻と同一視はされていないと思います。出生後の認知による国籍取得に婚姻要件がつけられたのは当然だと思います。

一方欧米の考え方は、「家」よりも「個」を重視することが多いようです。個人の尊重が自由競争の下で強い国家を生むという考え方です。婚姻を重視しない風潮のベースには、この個人主義的な考え方があると思います。

日本と欧米のどちらの考え方がいいとは言いません。しかし、欧米がどうあろうと、日本は日本のやり方を堂々と主張すればよいと思います。それが国家の個性というものではないでしょうか。

諸外国から入って来る考え方には、古くは共産主義、最近ではジェンダーフリーや金融自由化など、全面的に受け入れると危険なものがたくさん含まれています。それらを採用するかどうかは、まずそれが良いものかどうか、さらには日本の伝統や価値観に合うかどうかを時間をかけて検討した後で決断するべきだと思います。

司法の役割

さて、だからと言って「司法は日本的な価値観に基づいて判決を下すべき」などと言うつもりはありません。むしろそういうことには一切関わるなと言いたいのです。

仮に外国の考え方に無条件に追随することが取るべき道であったしても、その選択をするのはあくまで国民であり、国民の代表からなる国会です。裁判所は国会が定めた法律が正しく適用されているかどうかだけを考えるべきです。その役割を越えて自分の価値観を判決に持ち込む時は、国民の主権を侵害することになります。

しかし裁判所は、もっと許せないことをしています。それを次の節で述べます。

3.司法が行った二つの法の改変

この判決で、裁判所は二つの実質的な法律の改変を行っています。これはつまり、実質的な立法行為を行ったということです。

国籍法第三条1項の改変

さて本判決では、国籍法第三条1項が違憲とされ、出生後に認知されたフィリピン人の男の子に日本国籍が付与されました。しかし、国籍法第三条1項を違憲とするなら、その条文は無効のはずです。第三条の他に、出生後に認知された子に国籍を与える条文は無いはずなのに、一体どうやって国籍を付与したのでしょうか。実はここで、裁判所は法(国籍法)の改変を行っています。

判決理由の中で裁判官は次のように述べています。

(1) 以上のとおり,国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは,遅くとも上記時点以降において憲法14条1項に違反するといわざるを得ないが,国籍法3条1項が日本国籍の取得について過剰な要件を課したことにより本件区別が生じたからといって,本件区別による違憲の状態を解消するために同項の規定自体を全部無効として,準正のあった子(以下「準正子」という。)の届出による日本国籍の取得をもすべて否定することは,血統主義を補完するために出生後の国籍取得の制度を設けた同法の趣旨を没却するものであり,立法者の合理的意思として想定し難いものであって,採り得ない解釈であるといわざるを得ない。 そうすると,準正子について届出による日本国籍の取得を認める同項の存在を前提として,本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り,本件区別による違憲の状態を是正する必要があることになる。

(2) このような見地に立って是正の方法を検討すると,憲法14条1項に基づく平等取扱いの要請と国籍法の採用した基本的な原則である父母両系血統主義とを踏まえれば,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し,父から出生後に認知されたにとどまる子についても,血統主義を基調として出生後における日本国籍の取得を認めた同法3条1項の規定の趣旨・内容を等しく及ぼすほかはない。すなわち,このような子についても, 父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したことという部分を除いた同項所定の要件が満たされる場合に,届出により日本国籍を取得することが認められるものとすることによって,同項及び同法の合憲的で合理的な解釈が可能となるものということができ, この解釈は,本件区別による不合理な差別的取扱いを受けている者に対して直接的な救済のみちを開くという観点からも,相当性を有するものというべきである。

要するに裁判所は、違憲と判断した条文の一部を改変して違憲状態を解消し、その改変された条文をそのまま法として適用して国籍を付与したということです。具体的にどういう改変をしたのかと言いますと、国籍法第三条1項から「婚姻及びその」と「嫡出」の部分を削除したのです。
第三条1 父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で二十歳未満のもの(日本国民であった者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
これで確かに文法的には意味の通る日本語になっていますが、法は意味が通ればいいというものではありません。裁判官は第三条の趣旨なるものに合致しているから問題ないと主張していますが、その趣旨が裁判官が考えているような単純なものとは限りません。この裁判官は、私が次のように言えば納得するのでしょうか。
「あなたの書いた判決文に、ちょっと気にいらないところがあったので、主語の一部を改変しておきました。でも、ご心配は無用です。趣旨は変えておりませんから。まあもちろん、私の理解した趣旨ではありますが...」
こんなことをされれば当然抗議するでしょう。しかし今回判決を下した裁判官は、国会の定めた法律の文面について同じようなことをしたのです。これは明らかに法律の書き換えであり、実質的な司法による立法行為です。実際、この判決に参加した裁判官15人のうち、実に5人までもが、この行為は実質的な立法行為であり、受け入れられないとの反対意見を述べています。
(裁判官横尾和子,同津野修,同古田佑紀の反対意見より引用)
しかし,準正子に係る部分を取り除けば,同項はおよそ意味不明の規定になるのであって,それは,単に文理上の問題ではなく,同項が専ら嫡出子の身分を取得した者についての規定であることからの帰結である。認知を受けたことが前提になるからといって,準正子に係る部分を取り除けば,同項の主体が認知を受けた子全般に拡大するということにはいかにも無理がある。また,そのような拡大をすることは,条文の用語や趣旨の解釈の域を越えて国籍を付与するものであることは明らかであり,どのように説明しようとも,国籍法が現に定めていない国籍付与を認めるものであって, 実質的には立法措置であるといわざるを得ない。

(裁判官甲斐中辰夫,同堀籠幸男の反対意見より引用)
そうすると,多数意見は,国籍法3条1項の規定自体が違憲であるとの同法の性質に反した法解釈に基づき,相当性を欠く前提を立てた上,上告人らの請求を認容するものであり,結局,法律にない新たな国籍取得の要件を創設するものであって, 実質的に司法による立法に等しいといわざるを得ず,賛成することはできない。

司法による立法という重大な不法行為(主権剥奪、憲法第41条に違反)が、5人もの裁判官が明確に反対したにも関わらず強行されてしまったことが不思議でなりません。

憲法第14条1項の改変

二つ目の改変は憲法第14条1項に対するものです。こちらは一見しただけでは改変が行われた事実が分かりにくくなっています。

判決理由の中で、憲法第14条1項については次のように述べられています。

(1)憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定は,事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである

これだけ見れば、別段何も問題がないように思えますが、判決文の中で憲法第14条1項の引用を行っていないことが実は重要な意味を持っています。省かれた部分に裁判官が隠したかった言葉が含まれているからです。憲法の条文を確認してみましょう。

日本国憲法第14条1. すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
この文の主語が「国民」であることにご注目ください。では国民とは何でしょうか。同じく憲法で次のように定められています。
日本国憲法第10条日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
これを受けて国籍法第1条で次のように定めています。
国籍法第1条日本国民たる要件は、この法律の定めるところによる。
つまり国民とは、国籍法の定めに従って日本国籍を付与された人のことを意味します。

ということは、憲法第14条1項は「国民」、つまり日本国籍を付与された人に対してのみ適用される条文ですから、国籍付与の可否についてだけは適用できないということです。主語が「国民」と明記され、「国民」の定義が国籍法であることが明確である以上、他の解釈はあり得ません。

本判決は国籍法の条文が憲法第14条1項に違反しているとして、フィリピン人の男の子に日本国籍を付与しました。しかし憲法第14条1項は、国籍を付与するかどうかには適用できない条項ですから、このような判決は間違っています。そもそも、男の子が求めているものが日本国籍で、それが与えられる前提が既に当の日本国籍を持っていることだと言うのですから、論理的に不可能であることは明らかです。

これを解決するには、憲法に対して改変を行うしかありません。具体的に言うと、裁判官は憲法第14条1項の「国民」を「人」などに改変したものと思われます。

日本国憲法第14条1. すべて国民→人は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
国籍法の場合とは異なり、判決文は憲法の改変に言及しておりませんが、主語を改変しなければ適用できない法を適用してしまった以上、事実上の改変が行われたという他ありません。

(2009年3月6日追記)
日本版Wikipedia の「国籍法3条1項違憲訴訟」の記事では、上記判決理由の文面が書き換えられており、「憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,」の部分が「憲法14条1項は,国民は法の下の平等を定めており,」に改変されています。この「国民は」の文字は何者かが書き加えたもので、本物の判決文にはありません。匿名百科事典にはこのような意図的な改変が多いので、鵜呑みにせず原典を確認しましょう。

(2010年6月7日追記)
Wikipedia の問題の文面が修正され、原文に無い「国民は」の文字が削除されました。気になったので、変更履歴を調べてみました。(Wikipedia の変更履歴は、ページ上部の「履歴」と書かれたリンクを選択すれば誰でも見ることができます)

2007年9月8日
「国籍法3条1項違憲訴訟」の文書の初版が作成される。
2008年6月7日
2008年6月4日の最高裁判決の原文の引用が行われる。この時点では改変は行われていない。
2008年12月3日
最高裁判決の原文の引用部分に、原文にはない「国民は」の文字が書き加えられる。
2008年12月12日
国籍法が改正される。
2010年5月6日
「原文に存在しない文言を除去」として、「国民は」の文字が削除される。
2008年12月3日の改変は、「国民は」の文字の追加だけで、他には変更点はありません(
Wikipedia 該当記事の変更点の表示)。それまでは原文通りの正しい文だった訳ですから、残念ながら意図的な改変だった可能性が高いと思います。ログインしないで更新しているので IPアドレスが残っています。改変時期が国籍法改正の直前であることを考えると、あるいは法案成立に影響を与えようと意図したものだったのかも知れません。書き換えた結果が日本語としては不自然なことも気になります。

なぜ司法による法の改変が繰り返されるのか

さて、このような司法による法の改変が、なぜ当たり前のように繰り返されるのでしょうか。それを理解するキーワードが「救済」という考え方です。判決理由および裁判官の補足意見の中には「救済」という言葉が何度もでてきます。

(判決理由より引用)
本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り,本件区別による違憲の状態を是正する必要があることになる。

(判決理由より引用)
本件区別による不合理な差別的取扱いを受けている者に対して直接的な救済のみちを開くという観点からも,相当性を有するものというべきである。

(裁判官今井功の補足意見より引用)
裁判所に違憲立法審査権が与えられた趣旨は,違憲の法律を無効とすることによって,国民の権利利益を擁護すること,すなわち,違憲の法律によりその権利利益を侵害されている者の救済を図ることにある。

(裁判官田原睦夫の補足意見より引用)
多数意見のとおり国籍法3条1項を限定的に解釈し,20歳未満の生後認知子は,法務大臣に届け出ることによって日本国籍を取得することができると解することが,同法の全体の体系とも整合し,また,上告人ら及び上告人らと同様にその要件に該当する者の個別救済を図る上で,至当な解釈であると考える。

(裁判官藤田宙靖の意見より引用)
未だ具体的な立法がされていない部分においても合理的な選択の余地は極めて限られていると考えられる場合において,著しく不合理な差別を受けている者を個別的な訴訟の範囲内で救済するために,立法府が既に示している基本的判断に抵触しない範囲で,司法権が現行法の合理的拡張解釈により違憲状態の解消を目指すことは,全く許されないことではないと考える。

どうやら「救済」のためであれば、法の改変と適用が許されると信じているようです。しかしこれはおかしいと思います。

そもそも特定の国家の国籍を付与するかどうかは、その国家の主権の問題であって、救済のために与える訳ではありません。また、「救済だから正当だ」という考え方にも根拠がありません。裁判所に求められているのは、法に基づいて、中立の立場で判決を下すことです。法に書かれていない方法で、特定の誰かを「救済」するなどというようなことは、主権者たる国民は求めておりません。さらに、母親と同じフィリピン国籍を持っている男の子に日本国籍を与えることが、なぜ「救済」に当たるのかについても説明されておりません。

法に基づかない一人よがりの「救済」とは、司法の枠を越えた暴走に過ぎず、さらにそれが人道的な仮面を被っているために、裁判官自身も自分が暴走していることに気づいていないのではないでしょうか。

司法による法律の改変と適用は許してはいけない

言うまでもないことですが、立法行為は国権の最高機関であり唯一の立法機関である国会のみに許されたものです。裁判所は勝手に立法や行政を行うことはできません。

司法には違憲立法審査権という強大な権力が与えられていますが、

日本国憲法第81条最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
それは「適合するかしないかを決定する権限」に過ぎず、法の改変を行うことはできません。だから今回の判決でも、国籍法が違憲状態であるというなら、その事を判決で示して、国会が法律の改正を行えるようにするだけでよかったのです。

司法の権力は、法の番人としての使命を果たすために与えられたものです。彼らが自分達の価値観を前面に出して、「救済」の名の下に法の改変や無理な解釈に及ぶ時は、気違いに鋭利な刃物を与えるのと何ら変わりありません。彼らは自分達が正しいと思っているのでしょうが、三権分立の理念を理解していないと言わざるを得ません。

次の節では、この問題に対して私達にできることを考えてみます。

4.この裁判官を罷免しよう

私達にできることは、最高裁判所裁判官国民審査で、裁判官に対する罷免要求を出すことだけです。

この審査は衆議院議員選挙と同時に行われます。皆さんは当然、投票に行かれるでしょうから、その時に国民審査の投票用紙の中から、罷免したい裁判官の名前を探し、その欄に×をつけてください。罷免しない裁判官の欄は何も書かないでください。選挙は自分が支持する人の名前を書きますが、国民審査は支持しない人に×をつけます。くれぐれもお間違えのないように。

この裁判に参加した15人の裁判官のうち、誰がどのような判断を下したのかを一覧表にまとめてみました。○×は、本論で支持する判断が○、支持しない判断が×になるように決めました。本判決そのものは、二つとも×に該当します。

国籍法は合憲
国籍法第三条1項が合憲であると判断した人は○、違憲であると判断した人は×
国籍法の改変は不可
国籍法第三条1項の一部だけを改変してそのまま適用することは認められないと判断した人が○、本件の場合は認められると判断した人が×
反対意見を述べていない人は多数意見に同意していると見なし、二つとも×にしました。なお、藤田裁判官の違憲理由は他の方と微妙に異なっています。

裁判官の判断一覧
項番裁判官氏名国籍法は合憲国籍法の改変は不可
1島田仁郎(裁判長)××
2才口千晴××
3中川了滋××
4泉徳治××
5今井功××
6那須弘平××
7涌井紀夫××
8田原睦夫××
9近藤崇晴××
10藤田宙靖××
11甲斐中辰夫×
12堀籠幸男×
13横尾和子
14津野修
15古田佑紀

(2009年8月18日追記)
本日、最高裁裁判官の国民審査が告示されました。今回審査を受けるのは9名で、この中に国籍法を違憲とし、国籍法と憲法を改変した裁判官が4名含まれています。
  • 那須弘平
  • 涌井紀夫
  • 田原睦夫
  • 近藤崇晴
この4人に×を付けましょう。この人達が三権分立の国家システムを破壊し、国民の主権を侵害した事を知合いにも伝えて下さい。
実際に罷免が行われるのは、投票数の過半数が×だった人だけです。今までに国民審査で罷免された裁判官はおらず、罷免に至るのは相当難しいと言わざるを得ませんが、何よりも意思を表明することが大切だと思います。戦場で撃ち殺されたくなかったら、たとえ万策つき果てた後でも、銃口を向けてきた相手に「殺すな!」と叫ぶべきだと思います。Wikipedia の「歴代最高不信任率裁判官」のリストに載せることでもできれば、十分に意味があると信じます。

私見では、この表で一つでも×のついた裁判官(1-12)は全員罷免するべきだと思います。ただし、×が一つの裁判官(11,12)は、国籍法の改変適用に反対したことを忘れないで下さい。二つとも○の裁判官(13-15)は信任します。

なお、投票の前に是非判決文を読んでみてください。判決文は全部で42ページありますが、主文と判決理由は12ページだけです。残りは各裁判官の補足意見や反対意見です。

(補足 国籍法をどのように改正するべきか)

私見では、国籍法は改正する必要はないと思います。そもそも判決文の中で法的な効力があるのは主文のみで、判決理由には法的な効力はありませんから、法を改正する必要はありません。同様の事例については、その都度裁判を行って結論を得ればよいと思います。なお過去の例では、刑法旧200条(尊属殺人)が最高裁で違憲と判断(1973)されましたが、実際に条項が削除されたのは22年後の1995年です。

どうしても改正が必要なら、違憲と判断された第三条をまるごと削除するべきでしょう。この条項は、出生後に認知された子に対しても国籍取得の道を開いたものですが、同時に、同じ婚外子でありながら、認知の時期によって扱いが違うことが不当な差別と見なされる原因ともなりました。元に戻して、国籍は出生時に決定されるものとし、出生後の認知については帰化の手続きに統一するのが正しいと思います。

どちらのやり方も再び違憲判決を下される可能性が高いですが、国民世論の流れによっては、最高裁は判断を変えることもあると思います。そのためにも国民審査がとても重要です。今はまだほとんどの国民がこの改正の事を知らないというのが実態だと思います。どのように対応するにしても、事は国家の根幹に関わる事柄なのですから、まず広く国民に知らせた上で、十分に時間をかけて問題点などを検討するべきではないでしょうか。

[2008/11/14]

(2013年9月4日追記)
結婚した夫婦の子と婚外子の相続を定めた民法の規定が、違憲となりました。
結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を、結婚した夫婦の子の半分とした民法の規定が「法の下の平等」を保障した憲法に違反するかどうかが争われた裁判で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允ひろのぶ長官)は4日、規定を合憲とした1995年の判例を見直し、「違憲」とする決定を出した。最高裁が法律の規定を違憲と判断するのは、戦後9例目。格差是正のための民法改正が迫られることになる。

大法廷で審理されたのは、ともに2001年に死亡した東京都と和歌山県の男性の遺産相続を巡る2件の家事審判。いずれも1、2審が規定を合憲とし、婚外子側の相続分を結婚した夫婦の子の半分としたため、婚外子側が特別抗告していた。
[2013年9月4日 読売新聞の記事より引用]

国民の代表でない数人の公務員が、国民の作った法律を次々に「違憲」として葬り去っています。きまって日本とはゆかりのない外国の風俗を基準にし、日本にはない価値観を「正義」として振り回しています。変えるべきなのは民法ではなく、憲法です。二度とこういうことがないように、憲法14条第1項の「すべて国民は、法の下に平等であって」を「すべて国民は、法の適用において平等であって」に書き換えるべきです。意味は同じですが、今のような恣意的な解釈(誤読)が不可能になります。

寓話 - ある番人の告白


ある人が「モナリザの微笑み」という素晴らしい絵画を手に入れました。

彼はそれをとても大切にし、盗まれたり壊されたりしないように、わざわざ番人を雇って、昼も夜も守らせました。番人には他では望めない程の好待遇を与え、絵を守るための武器と権限も与えました。

ある日、主人が絵を見にいくと、名画が汚らしく書き換えられ、見るも無惨な状態になり果てていました。美しく、控え目だった微笑みは、気のふれた笑い顔のようなどぎついものに変わっていました。

驚いた主人がすぐさま番人を呼んで問い詰めたところ、番人はこう言いました。

「僕が書き換えたんです。『微笑み』という割にはあんまり笑っているように見えなかったんで、ちゃんと笑っていることが分かるようにしなければならないと思ったんです」

主人はあきれ果て、この番人を即刻首にしました。


何ヵ月かして、私は場末の酒場でたまたまその番人に出会いました。私は疑問に思っていたことを率直に彼にぶつけてみました。

「ねえ、君は主人から大切な仕事を任されていたのに、どうしてよりによって主人の大切な絵を台無しにしてしまったんだい?」

元番人は次のように答えました。

「あの時は本当に絵を書き変えるべきだと思ったんだ。今にして思えば、僕は元の絵の価値を分かっていなかったし、僕のした事が、番人として間違っていた事もよく分かる」

でも、ここから少し口調が変わりました。

「でもみんなも悪かったんだよ。みんな僕のことを神様のように扱った。だから僕はいつのまにか、自分を神様のように思ってしまったんだ。主人の大切な絵を書き変えることも、自分の使命だと信じていた。本当はただの番人に過ぎなかったのに。絵の事なんて何も分かっていなかったのに。でも信じて欲しい。あの時は本当に正しい事をしていると信じていたんだよ」

そう言って元番人は酒をあおりました。

[2008/12/7]


国民と人の区別


憲法14条の解釈に関連して、「日本国憲法では『すべて国民は』と『何人も』は厳密には区別されていない。だから『すべて国民は』と書かれた条文も外国人に適用できる」と主張している方がいらっしゃるようですので、これに反論させていただきます。

彼らが根拠としてあげるのは憲法22条第2項です。この条文は「居住地の移動と職業選択の自由」に関するもので、第1項で国内、第2項で国外の場合を扱っています。

憲法第22条1. 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。2. 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
彼らの主張は、「この条文の第2項の『国籍を離脱する自由』とは、明らかに日本国民を前提にしているが、主語は『何人も』になっている。これは憲法が、『すべて国民は』と『何人も』を区別していない事の証拠である」と言うものです。

これは前提が間違っています。そもそも憲法第三章のタイトルは「国民の権利及び義務」ですから、この章の中のすべての条文は国民を前提にしています。ですから主語が「何人」であろうとなかろうと、日本国民に限定された内容があることには何の不思議もありません。

その上で「国民は」と「何人も」が書き分けられている訳ですから、区別していないというのはまったくおかしな話です。全体的な傾向としては、「〜の自由」には「何人も」が使われ、「〜の権利」には「国民」が使われることが多いようです。恐らく将来、「人権・平等」という言葉が金科玉条のように扱われ、外国人のための拡大解釈が横行し、日本人の権利が不当に奪われる危険を察知していたのでしょう。例えば、憲法15条は参政権および罷免権を規定しておりますが、「国民固有の権利」とまで強く明確に限定しています。

ですから仮に、両者を「区別していない」と主張するのであれば、第三章のタイトルに基づいて、「何人も」はすべて「国民」と解釈するしかありません。

さて一方、憲法14条第1項は、その内容からは国民限定とは判断できません。ですから、もし仮にこの条文が「何人も」で始まっていたとしたら、それが国民に限定されるかどうかについて議論があってよいと思います。しかし実際には「すべて国民は」と明確に限定されている訳ですから、これが法の趣旨であって、勝手に「何人も」に置き換えることはできません。

憲法第14条1. すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
というわけで、憲法14条第1項は日本国民について書かれたものなので、外国人については個別の法で定めるしかないと思います。現行法に規定がないからと言って、法をねじ曲げてよいということにはなりません。

逆に私は問いたいのですが、「国民の権利及び義務」という章の中で、さらに念を押して「国民は」と明確に限定した条文までをも「国民に限定されない」と言うのであれば、一体どこまで明確に限定すれば国民限定の法律が作れるのでしょうか。憲法15条に「国民固有」と定められた参政権・罷免権さえも、裁判官がその気になればいつでも日本国民以外に拡大できるとでも言うのでしょうか。もう既にそのような危険な動きがあるようです。

さて私の論に対して、「それは学会の主流の学説から外れている」と言うご批判もあろうかと思いますが、憲法学者に左寄りの人が多いことは誰もが指摘することですし、そもそも学会とか学説というものには法的な根拠はありませんので、問題にする必要はないと思います。大切なのは日本国民がどう考えるかだけです。日本国の主権者は日本国民で、こちらには明白に法的な根拠があります。

[2009/2/5]

(2010年1月28日追記)
産経新聞の記事によりますと、外国人への地方参政権付与を合憲とし、「外国人参政権の理論的支柱」であった長尾一紘・中央大教授が、自説を撤回して「違憲である」という結論に達したそうです。本当に人騒がせな話です。彼はインタビューに答えて「私の読みが浅かった。10年間でこれほど国際情勢が変わるとは思っていなかった。」とおっしゃっていますが、国際情勢の変化によって主権に関わる憲法判断がころころ変わる事に問題があるとは、いまだに思っていらっしゃらないようです。
(2010年2月21日追記)
産経新聞の記事によりますと、かつて外国人への地方参政権付与を「憲法上禁止されていない」と判決文傍論で述べた園部元最高裁判事が、その傍論について、「(外国人に対する)政治的配慮があった」と認めたそうです。司法が法の枠組を超えて「政治的配慮」をするとは驚きです。それは立法・行政の仕事です。司法はあくまで雇われ「番人」に過ぎず、そもそも国民の代表ではありません。
(2014年7月18日追記)
最高裁判所は、生活保護の対象に外国人が含まれるかどうかについて、2審の判断を取り消し、「法律が保護の対象とする『国民』に外国人は含まれない」との判断を示しました。ようやくまともな方向への第一歩が始まりました。
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