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宣長についてよく語られる間違いのコレクション


本居宣長について、あちこちでまことしやかに語られる流言をまとめてみました。

邪馬台国を最初にヤマタイコクと読んだのは本居宣長である

。 『馭戎慨言』で『後漢書』を引用した中で、「邪馬臺」には「ヤマト」と しっかりルビが振ってあります。「邪馬臺國」は「ヤマトノクニ」と読みました。 『魏志倭人伝』の引用中の「邪馬臺」にはルビは振られていませんが、 宣長は熊襲の類が大和朝廷をかたって魏の使者を受け入れたと言った訳ですから、 『後漢書』と同じく「ヤマト」と読んだことは間違いありません。 ちなみに新井白石も「ヤマト」です。 「ヤマタイコク」と読んでいるのは現代の学者です。

本居宣長は卑弥呼は熊襲の女酋長であるとした

半分嘘。 宣長は基本的に邪馬台国(ヤマトノクニ)は大和国、卑弥呼は神功皇后のことであると考えました。 その上で魏と通好を持ったのは神功皇后をかたる偽物であると主張している訳です。 また宣長はこの偽物を熊襲の類とは言っていますが、女酋長とは言っていません。 むしろ王は男だっただろうと推測しています(『馭戎慨言』)。

本居宣長は邪馬台国を九州の国にするために、『魏志倭人伝』の中の「一月」を「一日」と読み替えた

微妙に嘘。 宣長が「月の字は日の誤りだろう」と指摘したのは事実ですが、 それは魏の使者が来たのが大和ではないことを立証する流れの中で言ったことです。 簡単に言えば、「月は日の誤りだろうが、一月でも一日でも、大和への行程としては計算が合わない」 と言ったのです。 魏の使者が来た場所が九州であることは、別に根拠を示しています(『馭戎慨言』)。

本居宣長の敷島の歌は、ちり行く桜が武士道精神を表現している
。 敷島の歌とは、宣長六十一歳自画自賛像に書かれた「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の事です。 大和心とは大和魂と同義で、シナの文化をを輸入する以前からある日本人の精神を表します。 大和心も大和魂も平安時代からある言葉で、後の時代の武士道精神とは関係があるはずもありません。 もちろん宣長がこれらの言葉を武士道精神の意味で使うことはありません。

同じ間違いがあちこちで見受けられるのは、誤った情報を鵜呑みにした人が、 また別の場所に受け売りのまま書いているためだと思われます。 しかし最初の発信者は恐らく嘘と分かっていたのではないでしょうか。 匿名百科辞典(Wikipedia等)や匿名掲示版(2ちゃんねる等)の情報を安易に信用するのは危険です。 特に出典が書かれていないものは眉唾物と考えた方が安全です。
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